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10.2 ドル円の歴史的推移

デイトレーダーに月足チャートが必要かと尋ねられることがありますが、私は意識するに越したことはないと考えています。特に利小損大の戦略をとる場合、非常に長い期間、含み損に耐える場面も稀にですが生じます。そのような可能性を考えると、ひと月レベルでのトレンドの方向性にそったポジションを取るに越したことはないからです。また、月足の分析は必然的にファンダメンタルに接近します。ファンダメンタル分析はデイトレーダーにとって深入りすべきものではないですが、無知であるよりは理解しているに越したことはありません。突発的なニュースにも理解のスピードが速くなるからです。さらに言えば、私は、数年以内にドル円は強烈なトレンドが発生する可能性があると考えています。そのチャンスを逃さないように、ざっとここ百年間で起こった最低限のことは理解しておきましょう。

1929年の世界大恐慌により、各国は輸出不振に陥りました。輸出産業は自国の通貨が安い方が競争力が高くなります。そのため、各国は自国の通貨を切り下げることで輸出を増やし、経済を立て直そうとしました。しかし、この試みは失敗します。世界恐慌の名の通り世界各国で不況が起こったわけで、その世界各国が通貨切り下げを競争的に行う事態になったからです。いわば囚人のジレンマというべきか、相対的に優位な状況を皆が作り出そうとした結果、全員にとって等しく劣位な状況を生み出しました。すなわち、世界各国の貿易量が激減したのです。

このような危機的状況に対し、財政が豊かなアメリカはニューディール政策を行い、植民地の系列国をもつイギリスはブロック経済圏を作り出し、なんとか乗り越えることができました。しかし、そういった前提条件を持たない国家は、その条件を自分達で作り出すべく行動を開始せざるをえませんでした。すなわち、イタリアはエチオピアを侵攻し、ドイツはヨーロッパ征服を目指し、日本は満州国を建設しました。結果はご存知の通りです。

通貨レートというのは、時として世界大戦の遠因となるほど強い影響を世界全体に与えます。このことを省みて、戦後アメリカが中心となりブレトンウッズ体制が設立されます。これはアメリカが世界全体の為替の安定性を保証する体制です。すなわち、「自国通貨であるドルをもってくれば、金と交換することを保証しましすよ」と定めました。つまり、金を裏付けにドルの絶対的価値を保証したわけです。その上で、アメリカが各国の通貨とのレートを交渉を通じて決定することで、為替相場は固定されたものとなりました。日本においては、金1オンス=35ドル=360円と定められました。これは現在の私達からみると、相当な円安です。実際、戦後の日本において輸出を非常に有利に行えたことは、復興を導いた大きな要因の一つとなりました。

しかし、ソ連との冷戦を通じた軍備の増強、さらにベトナム戦争による国力の低下から、あるときアメリカは、もはや金との交換は保証できないと匙をなげました。これが1971年のドルショックです。そもそも金の貴重性はその量が一定であるところにあるのに対し、ドルの発行量は経済規模の拡大とともに増えますから、内在的に矛盾を抱えていることは明らかです。ともあれ、何度かの国際会議を経て、1973年に変動相場制へと移行し、それが現在に続いています。

1973年に変動相場制に移行した時点では、すでにドル円は260円台にまで下落していましたが、同年の第一次オイルショックをきっかけに1975年までドル買いトレンドが発生し、300円台周辺の値をつけました。その後76、77、78年と下落トレンドに転じ78年には152円まで落ちましたが、1979年に第二次オイルショックが起こり再びドル買いが進行し、1985年には250円前後で推移していました。

この1985年9月に非常に大きな出来事が生じます。当時、ドル高により貿易赤字が膨らんでいたアメリカでは、産業界の貿易不均衡に対する不満が高まっていました。貿易赤字を減らすためには、輸出を減らして輸入を増やせばいいわけですから、ドルの価値を低くすれば良いわけです。そうすれば、アメリカで生産された製品は海外からみれば割安になりますから輸出に弾みがつきますし、逆に海外で生産された製品はアメリカからみれば割高になりますから輸入が縮小します。そこで、G5でドル安になるように各国に協力を要請し、その合意を取り付けました。これがプラザ合意です。日本もこれをうけ、日銀による協調介入を行いました。日銀が持っている大量のドルを売り円を買ったわけです。ドルが安くなるということは相対的に外貨の価値が上がるということですから、世界中でこのようなドル売り外貨買いの強烈なトレンドが生じました。途中、想定以上の急落にG7にて為替を現行水準で安定させることに約したルーブル合意が採択されますが、それにもかかわらずドルは下落し続けます。最終的に、1988年には120円にまでドルの価値は下落しました。

当時の日本は、輸出企業が経済を支えている側面が今以上にありましたので、円高は不利に働きます。その結果として、プラザ合意以降日本は不況に陥りました。とはいっても、政治的に形成されたドル安円高である以上、以前のようなレートでの輸出は見込めません。そこで日本は内需拡大政策をとることで活路を見出そうとします。これは日本の経常収支の黒字額の減額を要求するアメリカの要望に応えた結果として失われるその減額分を、内需の拡大で取り戻そうとするものでした。この目的のために、日銀は極めて大胆な金融政策を実行します。1987年2月から1989年5月まで、当時における史上最低となる2.5%にまで公定歩合を引き下げ、超低金利政策を実施しました。安い金利でお金が借りられるようになるわけですから、みなどんどん金融機関からお金を借りるようになります。低金利による好影響を一番享受する業界は不動産です。価格が大きいので、支払い利息を低く抑えることができれば、投資行動を決定する重大な後押しとなるからです。これにより不動産の価格はどんどんと上がり、つれて株式もどんどんあがり、日本はバブル経済に突入しました。このときドル円は、日本が超低金利政策による金融緩和策をとる一方でFRBは金融引締め策をとり金利差が拡大したこと、また、規制緩和がなされ潤沢な財務状況のもと日本の金融機関による外債投資が活発化したこともあって1988年から円売りドル買いトレンドが生じ、1990年には160円台をつけます。

このような急激な資産インフレに対応すべく、日銀と政府は対応に追われます。まず、1989年12月の三重野日銀総裁就任以後、急激な金融引締めを行い、これによってマネーストックが急速に減少し信用収縮が進みました。さらに、大蔵省は不動産融資総量規制を行いました。これは金融機関が不動産の売買に対する融資を制限するものです。そうすると、不動産の買い手が激減しますから、その価格も激減します。その結果、不動産を担保に融資していた金融機関は貸付金を回収することができなくなり、その債権は不良債権と化しました。このようにしてバブル経済は崩壊に至りました。バブル崩壊により企業は経営が苦しくなります。その対策の一つとして、バブル期の潤沢な資金で買いあさっていた海外資産を売り払い、その現地の通貨、主にドルとなるわけですが、これを売って日本円を買う流れが生じました。このような資金還流の流れが起こったことにくわえ、公定歩合の利上げやバブル期にみられた外債投資が激減したことも重なり、ドルが売られ円が買われるトレンドが再度進行していきます。

ここまでがMT4の月足でみることができない1993年以前のドル円の流れです。これ以降はMT4の月足チャートを表示できますので、イメージで捉えることができると思います。なお、この辺りの詳しい状況は、次節以降にて中央銀行の金融政策についての説明をした後に、ソロスチャートを参照しつつ再度検討しますので、本節では大まかな流れを理解するだけで十分です。

 

バブル崩壊に伴い海外資産を売却し円に戻す円買いの流れが生じたことに加え、1993年に発足したクリントン政権による貿易不均衡の是正を求める動きがドル安円高を後押ししました。同年6月には宮沢首相との首脳会談にて日米貿易不均衡を是正する第一の方法は円高であるとする旨の共同声明が発せられます。途中FRBによるドル高誘導の介入をはさみつつも、1994年には96円にまでドル安円高は進行しました。これにはアメリカもさすがに急激すぎると考え、同年4月に声明が発表され協調介入が実施されますが、1994年末から1995年初頭に起こったメキシコ通貨危機の影響をうけ、ドルの信頼性はさらに低下し強烈なドル売りがなされ、1995年には79円75銭をつけました。

1995年4月に開かれたG7にて、円高ドル安が行き過ぎているとの共同声明が発表され、大蔵省も対外投融資促進策を発表し、また各国の協調介入が行われたことで、ここからトレンドが大きく転換します。アメリカもドルに対する信頼性を回復させるべくこの動きを後押ししました。途中アジア通貨危機をはさみつつ、イラク情勢の不安定化を受けた有事のドル買い、さらに不良債権の処理に手間取る日本の格付けがムーディーズによって引き下げられたことによる円売りがあり、1998年には147円台にまでドルが買われ円が売られました。このトレンドに終止符をつけたのが1998年4月のロシア危機です。この余波を受け翌1999年にアメリカのヘッジファンドLTCMが破綻し、今度は逆に強いドル売りトレンドが発生、1999年末までこの流れが続きます。

年が明けて2000年初頭から、アメリカでリパトリエーションの流れが生じ海外資産がドルに還流され、その一方で日本の円建て債務の格付けが引き下げられたことにより、ドル買い円売りのトレンドに転換しました。2002年以降はドル売りのトレンドに転換し2004年末には100円割れ手前まで迫ります。

2005年以降日米の金利差拡大を原因とするドル買いのトレンドが発生、再度120円を突破します。しかし、2007年夏からサブプライム問題が表面化し強烈なドル売りのトレンドへと転換します。パリバショック、リーマンショック、ドバイショックをはさみ、2012年末までこのドル売りトレンドは継続しました。なお、このトレンドの最中である2011年10月31日にドルは対円で史上最安値となる75円32銭をつけています。

2011年11月に衆議院が解散され翌月の選挙で自民党が大勝し政権復帰、その後のアメリカの量的緩和縮小と対照的に日本が異次元緩和を行ったことによってドル高円安の強烈なトレンドが発生し125円台をつけます。2015年以降に中国株大暴落に端を発する急落で100円前後まで値を下げつつも、トランプ当選を機に118円台まで急速にドルが買われました。就任から2019年10月現在まで、その高値は更新されず、浮動的に104円~118円の間をさまよっている状況です。

月足レベルで今後のドル円の動きを考える際には、さらに実効為替レートを参照する必要がありますが、まず実体の蝋燭足がどのように動いたかをきちんとチャートでみておくことは、イメージを掴む上で大切です。次節ではその実効為替レートを検討します。

-10 為替のトレンド発生要因