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6.3 過度な楽観主義の排除

どのような場合にトレードを休むべきかは、当人の個性による差が特に大きい分野です。従って、自分自身がどのような場合に失敗しやすいのかを、トレードから型枠として抽出する作業が必要となります。2章で述べた自己分析と関連する分野です。本節以降では、私個人が取る待機局面について述べていきます。

過度な楽観主義が発生しやすい場面ではトレードを避ける

資産が節目となる大台に到達した直後

私の場合、百万円毎や一千万の大台に乗ったなど年次が心理的に節目となる価額に到達した直後は達成感を感じると共に、未来に対する楽観的な見通しを感じます。このまま何十億にまでスムーズに資産が増え続けるような気さえします。日常生活でも、洗濯や掃除をしているときでも心持ちが軽くなったような、なんというか疲れを感じなくなり元気な気持ちが溢れてきます。ところが、明らかに失敗と評価せざるを得ないトレードをすることは、不思議とこのような状況の直後に起こることが多くありました。

トレードでは、楽観主義は負の側面がある

トレーダーにとって帰納法的思考が重要であることは繰り返し強調してきましたが、この思考法は経験則に重きを置くがゆえに、トレードの成功が積み重なるにつれ、ある心理的傾向をもたらします。すなわち、楽観主義です。なぜなら、楽観主義的な性格傾向は、経験から形成されるからです。もちろん、楽観主義はエンドルフィン等の脳内ホルモンの分泌が出やすい体質かどうかという先天的な素質でもあります。と同時に、どのような遺伝的資質の人間であれ、自分の思考や行動が成功と結びつく経験を積み重ねていけば、楽観主義的性格に至ります。そして、様々な性格的傾向の中でも、楽観主義は行動との結びつきが強いものです。

自分自身に対して積極的で楽観な期待をすることは、成功への心理的動力として働きます。常に向上しようと努力できるのは、自分なら目的を達成できるという確信があるからです。また、他者に対して積極的で楽観的に良い面を見出そうとすることも、良好な人間関係を築く礎となります。

しかし、ことトレードに対しては、楽観主義は負の側面もあると考えます。マーケットは私自身の行動が影響を与えうる対象ではないからです。自分自身の行動がある対象に対して何らかの影響力を行使できるものである場合、楽観主義はその結果を良好なものとする要因たりえます。しかし、当然ですが、私の投資行動は、マーケットという大海の中ではわずか一滴の泡沫にしか過ぎず、限りなく希釈されていきます。私個人の資産状況とは全く無関係にマーケットは日々動いていきます。

利小損大の戦略のもとでは、適切で合理的な損切りができるかが基軸です。そのために、認知に歪みが生じる場面を類型化し、それを排除できるようにモデル化しなければなりません。この点につき、楽観主義は、投資行動において認知の歪みを引き起こす忌むべき要素を内在します。

しばらく休むしかない

自分の収支が一つの節目となる達成を遂げたときは、過度な楽観主義によって惹起された認知の歪みが生じる可能性が高い場面です。したがって、これを排除しなければなりません。しかし、これをトレーディングにおいて消化する術を私は思いつきません。強いてあげるならポジションサイズを小さくすることぐらいですが、利益確定がうまくいった場合にはポジションサイズを小さくしたことに対する後悔の念が生まれ、新たな認知の歪みをもたらす原因を作り出すことになり、きりがありません。

このように、ある認知の歪みを生みだす状況があるにも関わらず、それを能動的なトレーディング戦略のモデルに組み込むことが難しい場合、とるべき行動は一つしかありません。何もしないことです。私の場合は、最低でも節目の大台にのった当日および翌日はトレードから一切離れることにしています。

人間は状況に慣れます。一定の時間を経過すれば、どのような心理状態であれ馴染む感覚が出てきます。特に楽観主義は先に述べたように経験との結びつきが強い分野です。頭の中だけで楽観主義に陥らないように気をつけようと考えるだけで慎重に振る舞えるものではありません。トレードの成功体験から離れるという具体的行動をとることで、マーケットが自分に微笑みかけているかのような幻想を払拭するのです。そのあいだ資産は増えませんが減りもしません。利小損大の核心は、損失を如何にコントロールするかにあります。利益獲得の可能性よりも損失の発生回避可能性をより重視すべきです。

▷次節:6.4 値ごろ感トレードの排除

-6 認知バイアスの排除