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2 自己分析

2.3 主観を知に変換する

では、「己を知る」とは具体的にどのようにすればよいのか。

西洋に端を発する近代合理主義に基づく教育体系を受けてきた我々は、一般に「主観」を知力とは別のものと考えます。純粋に客観的であり論理的であるものから演繹的に導き出されるものこそが真理であって、その対極にある主観はアカデミックの作法として信を置いてはならないという発想から西欧の近代科学は発達しました。この発想の根源は、キリスト教における人間中心主義にあると科学史ではよく説明されます。一例をとれば、たとえば動物は人間にその生命の源である食料を供給するための存在であり、対象物たる自然を人間に奉仕すべき存在として神が用意したものであるとする発想です。つまり、自と他とを明確に区別する世界観から、他を自己とは切り離された客観物としてとらえる視点が固定され、合理性・客観性を追求する近代合理主義が生まれたとするものです。

このような教育体系のもとで育った我々は、「己を知る」という命題が与えられた場合にも、自分の才能・個性というものはどのようなものであるかと客観的に内的な追求をすることだと考え勝ちです。しかしながら、トレードにおいてはこのようなアプローチだけでは本質にたどり着くことはできないと考えます。マーケットは理に合ったと思える動きをすることもあれば、時として非常に不合理とも思える動きをします。しかしそれが本当に合理的なのか不合理的なものなのかは誰にも判断できません。なぜなら、マーケットは不完全情報の場だからです。機関投資家や最大手の個人投資家も含め、だれもが部分的な情報と理解しかしていない状態で日々の膨大なトレードがなされています。内的な追求の結果として導き出された理論から合理的に判断したにも関わらず損失が生じた場合に、それが自己の分析が間違っていたからなのかマーケットが不合理な動きをしたからなのかを判断するすべがないのです。マーケットにおいては、フィードバックできない経験は意味を持ちません。

直接経験を通じて感じ取られる「主観」を細かな事実として丁寧に拾い上げていき、それらを統合することにより真理に到達するという帰納法的アプローチが重要です。具体的にいえば、直感や感情で構成される「主観」を言語化しチャート上で定量的に把握するすべをもたなくてはならないということです。そしてそれらを単に個別に捉えるのではなく、お互いに関係づけ体系化していくことで、自己に最も適した売買手法が生まれると考えます。

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