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10.11 為替政策

ドルの歴史を振り返れば分かるように、アメリカのドル政策の方向性を探るのは非常に困難な作業です。そもそも、固定相場制から変動相場制への移行というスキーム自体の変更さえやってのけるわけですから、ドル高指向かドル安指向かなどは、その時々の時流に左右されて何の不思議もありません。この点、相場制度の変更の歴史をもってドル政策の不透明さの理由としたことを少し牽強付会ではないかと思われた方もいるでしょう。しかし、変動相場制移行後の歴史をみても、たとえばレーガンがドル高こそが経済政策の成功を示す証拠であると発言した1985年、その年のうちに今度はプラザ合意を行いドルの引き下げに合意させています。現在の相場でも、ムニューシンがドルは強い方がいいと言い、一方でトランプがドルは高すぎると発言し、そうかとおもえば、ムニューシンも短期的には強いドルはよくないと発言したり、トランプが側近補佐官にドルは強い方がいいのか弱い方がいいのかを相談したなどというニュースが伝えられたりと混迷を極めます。このような現象はなぜ生じるのでしょうか。

日本の円政策は、アメリカのドル政策よりは明瞭です。これは戦後の日本が輸出を背景に国力を回復した経緯があるため、輸出企業にとって有利な円安を伝統的に国是としたからです。とはいえ、プラザ合意やクリントン政権時の為替合意など、アメリカから圧力を受けることも多く、政治主導による為替誘導の局面はしばしば発生します。また、日銀元総裁の速水氏が強い円高支持者であったこともあり、行政官や政治家の中には必ずしも円安を良しとしない考えをとる者が現在でも散見されます。

今までは中央銀行を中心とした金融政策について述べてきましたが、今回は政府の立場からみた為替政策について考えてみたいと思います。中央銀行による金融政策が物価の安定を通じて経済の健全な発展を目指すのに対し、政府の為替政策は主として貿易収支を調整する手段として位置づけられます。政府の為替政策は時の政権の考えやその時々の時流に応じて大きく変化します。そもそも政権内でも統一的見解が無いことさえあります。そもそも、理念としては、変動相場制は二国間のファンダメンタル要因を反映して緩やかにレンジ相場を形成するはずのものです。従って、これに積極的に影響を与えることがそもそも良いことなのかという出発点から議論が分かれます。更に、政府による人為的影響を肯定するとして、通貨安が良いのか通貨高が良いのか、仮に通貨安としてどの程度安ければよいのかと判断が複雑多岐にわたり、統一的な見解を保つことが難しいという事情があります。

為替政策につきどのような議論があるのかを知っておくことは、ある政策や発言により為替レートがどのように、そしてどの程度動くのかの目処をつける上で重要です。報道は基本的に断片の変化を伝えるものですから、なるべく短い時間で推測できるよう、全体像の基本的知識は事前に理解しておきましょう。

通貨安は、自国の輸出産業の発展にとって有利であるとする通説

通説的見解は、原則として貿易収支は製品の技術力に基づく国際競争力によって決定され、かつ、通貨安はその国の貿易収支をプラスにする有効な手段だとするものです。基本的事項の確認となりますが、円高ドル安になれば、アメリカからみた日本製品は割高になるので日本の輸出額は減少する一方、日本からするとアメリカ製品は割安になるので日本の輸入額は増加します。それに対し、円安ドル高になれば、アメリカはより少ないドルで日本円の製品を買えるので日本の輸出額は増加する一方、日本はより多い円でなければドルの製品を買えないので日本の輸入額は減少します。とすれば、日本の貿易収支を黒字とするには円安ドル高、つまり自国の通貨安が有利となります。

一方で、自国の通貨が高いことによるメリットもあります。通貨安は多くの自国通貨を払わないと海外製品が買えないということですから、あまりに通貨安が進むと国内では賄えないがなくては困るものがある場合に問題があります。日本でいえば、代表的にはエネルギー資源である石油がこれに当たります。また、通貨高になると、海外の通貨安の国にアウトソーソングが大規模に行えるようになります。土地を買い工場を建てるにしても人を雇うにしても、より少ない円でその国に支払いができるわけですからコストを安くすることができます。

しかし、海外に生産拠点を移せば、自国の産業が空洞化してしまい国内経済の規模が小さくなる現象も同時に生じます。さらに、通貨高により海外から安く輸入品が入ってくれば、国内製品にとっては脅威となりますから国内で製品を生産しそれを国内で売る企業にとっては利益の減少を招きます。さらに、海外製品に対抗すべく価格競争がなされれば、物価の下落へとつながります。物価の下落はデフレへとつながり、経済全体の衰退につながる可能性があります。

このように、功罪両面はあるものの、先進工業国にとっては輸出を増大させ外貨を獲得するために通貨安を歓迎するというのが通説的見解となります。しかし問題は、必ずしもそうは考えない見解もあることです。その根拠を知っていれば、為替に対する要人発言等を理解する上で有利に作用します。以下において、通貨安は貿易赤字を削減する手段として効果が無いとする反対説と、効果はあるが副作用の方が大きいとする反対説とを解説します。

通貨安は、貿易赤字を削減する手段として効果が無い又は不十分とする反対説

代表的な反対説は、貿易赤字は国内の貯蓄と投資の差によって決まるものであって、為替は無関係だとするものです。これはマクロ経済学の議論を前提とした主張ですから、少し説明が必要だと思います。この点につき、貯蓄・投資ギャップ式について簡潔に説明します。これは、ある国の経常収支は貯蓄と投資との差と等しくなるというもので、以下のように導かれます。

Y(生産)C(消費)I(投資)G(政府支出) +{EX(財・サービスの輸出)EM(財・サービスの輸入)

ここで、T(租税)を加え、式を変形すると、

{Y(生産)-C(消費)-T(租税)}{T(租税)-G(政府支出}I(投資)= EX-IM

Y-C-T=民間貯蓄、T-G=政府貯蓄であり、民間貯蓄+政府貯蓄=S(国民貯蓄)であるから

S(国民貯蓄)- I(投資){EX(財・サービスの輸出)-IM(財・サービスの輸入)}

ということは、S<I(過剰投資)EX<IM(経常収支赤字) もしくは、S>I(過剰貯蓄)EX>IM(経常収支黒字)  の関係が成り立ちます。つまり、貯蓄と投資のギャップ=経常収支の不均衡であることを表します。この式の中に為替相場は含まれていません。従って、貿易赤字と為替相場とは無関係だとする主張です。

この主張に対しては、何となくすっきりしない気持ちを覚えます。数学は時として直感に反する現実を証明することができますが、それにしても、為替レートと貿易赤字が無関係とするのは、現実から余りにかけ離れていると感じます。そもそも、S(貯蓄)とI(投資)とに影響を与える重要な要素として為替レートがある以上、為替レートが貿易赤字と無関係だとする主張は前提を欠く面があります。為替レートが一国の貯蓄(S)と投資(I)に影響を与えているのが、まさに今のアメリカと中国との関係です。アメリカの立場からは、中国は不当に人民元安に誘導しているとされます。そして中国は、人民元安という有利な輸出条件のもと獲得した莫大な外貨を、今度はアメリカ国債の購入に当てます。アメリカ国債は世界でも最も安定した国債であり、兆円単位以上のお金を運用する際に現実的な一義的選択肢は国債となるからです。そうすると、アメリカ国債の利回りは低下します。金利が低下することで、アメリカ国内のI(投資)がより一層活発になり、逆に言えばS(貯蓄)に消極的になります。また、人民元安になるということは、アメリカ企業からみれば、安い価格で設備を作り人を雇って商売をできることになりますから、アウトソーシングが進みます。そうすると、本来アメリカ国内で生まれたであろう雇用が中国に流れ、その結果として中国のS(貯蓄)は高くなります。このように、為替レートはS(貯蓄)とI(投資)に強い影響を与えている現実があります。

為替レートがS(貯蓄)とI(投資)に与える影響を肯定しつつ、なお、通貨安だけでは貿易赤字を削減するために不十分であるとする主張もあります。貯蓄・投資ギャップ式によれば、S<I(過剰投資)"だから”EX<IM(経常収支赤字)ということになります。とすれば、S(国民貯蓄)を大きくすれば、EX<IM(≒貿易赤字)は小さくなります。そして、S(国民貯蓄)を大きくするためには、G(政府支出)を減らせば、つまり財政赤字を減らせばいいわけです。逆に言えば、通貨安を誘導したところで政府支出が減らなければ貿易赤字削減のためには不十分であるという主張です。

この主張は、マクロ経済学的には納得しやすいものですが、トレーダーとしてはこれもまたもやもやしたものが残ります。現実の値動きを最重要視するトレーダーにとって、この式に過剰な因果関係を読み込むことは経済に対する皮膚感覚レベルの理解を阻害すると考えます。貯蓄・投資ギャップ式は、あくまでも事後的に成立する恒等式であって、S(貯蓄)とI(投資)とのギャップがある"から"EX<IM(≒貿易赤字)が発生するのだというように原因と結果との直接的関係まで読み込むべきではないと思います。ただ、S(国民貯蓄)が大きければ、EX<IM(≒貿易赤字)は小さい傾向があることは間違いないでしょう。しかし、アメリカも日本も歳入以上の歳出を国債の発行によって賄っている現状のもと、G(政府支出)を削減するというのは、実行可能性としてはかなり低いといえます。

しかし、そうであるにせよ、こういう議論があることは知っておくべきです。ニュースでこれを前提とした議論が報じられたとき、予備知識がないと混乱してしまうからです。瞬間的な判断が求められるデイトレーダーにとって、全く前提知識がない局面への遭遇は極力少なくしなければなりません。1980年代後半以降の日米貿易摩擦でもこの貯蓄・投資ギャップ式を背景とした議論が交わされましたし、通貨安を問題としない勢力の理論的根拠であると同時に通貨安を責められた国家が用いる教科書的な反論でもあることから、今後も形を変えてしばしば目にする機会があると思います。

通貨安が貿易赤字削減に効果がないとするその他の見解として、通貨安になっても外国が保護貿易政策をとり関税でブロックされたら意味がなく、単に輸入が不利になるだけで、躍起になって自国通貨を下げる意味はないとする主張があります。しかし、この主張は一部の限定された状況下では成り立つ場合もありますが、通貨安になるとその国の輸出は伸びる現象は現実に多く観測されますから、あまり一般性をもつ主張ではないと思います。

通貨安は、貿易赤字を削減する手段として効果はあるが、別の面で好ましくないとする反対説

通貨安は貿易赤字を削減する効果はあるが、本質として自国の通貨の価値が損なわれている状況であり、総合的には国益を損ねるとする主張です。たとえば、ドル安は、他の通貨と比較してドルの価値が低いということです。とすれば、例えば賃金が毎月5千ドルであった場合、ドル円レートが100円であれば日本円で50万円の価値ですが、ドル安が進み90円になれば日本円で45万円の価値しかありません。これは、貿易赤字を減らすためにアメリカ国内の賃金を下げているともいえます。このことから、アメリカでは、貿易赤字を解決するためには、国民の所得を減らすのではなく、通商政策によって解決すべきという主張がなされます。通商政策で解決するとは、つまりアメリカの外交において解決せよということです。アメリカ製品をブロックしている国に対して市場の自由化を要求すること、例えば関税を引き下げるよう求めたり、規制を撤廃するように求めることで輸出の拡大を進めるべきだとする主張です。

これに対しては、アメリカ国内で消費される財・サービスの大部分は国内で生産されており、輸入品に頼る部分は少ないので、ドル安が進む割合ほどに実質賃金が下がっているわけではないという反論がなされます。日本もエネルギー資源など、一部においては海外に依存した製品がありますが、円安が進む割合ほどに実質賃金が下がるわけではない点は同じだと思います。また、通商政策を強硬に進めるということは、当然に国際摩擦を生み出しますので、この点からも慎重であるべきだとす再反論があります。

-10 為替のトレンド発生要因