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10 為替のトレンド発生要因

10.5 中央銀行の非伝統的金融政策

前節10.4 中央銀行の伝統的金融政策では、金利の誘導を通じて景気をコントロールする伝統的金融政策についてみてきました。それに対し本節では、そのような伝統的金融政策が通用しない経済状況に対処すべく生まれた、非伝統的金融政策の内容を理解することを目的とします。その中でも特に量的金融緩和(QE=Quantitative easing)にフォーカスして説明していきます。

量的緩和

非伝統的金融政策も、最終的に目指すところは、市中に多くのお金が出回るように促し経済活動を活発化させ景気を回復させることです。ただ、そのための手段として、従来の金利を下げるという金融政策だけでは時として不十分なのではないかという問題意識が根底にあります。

伝統的金融政策が思い描くところを単純化して纏めると、中央銀行が買いオペをすることで市中の金融機関へと多くのお金が流れ、金融機関はその多くのお金を有効に活用すべく低い金利でも貸付融資を行うようになるというものです。そして、融資を受けた企業は経済活動を活発化させ多くの収益を上げるようになり、従業員に対しても沢山の賃金を払えるようになります。多くの収入を得た個人は、消費を積極的に行うようになります。消費が活発化するということは財やサービスに少々高い値段をつけても売れるようになるということですから、物価も徐々に上がっていきます。そうすれば、益々企業の収益も高くなって・・・と、このような事象がスパイラル的に継続すればデフレを脱却でき景気が回復する、そういった流れを想定しています。

ところが、なぜかそうはならない状況が発生するようになりました。それが重篤なデフレ状況下です。その原因を考えたときに、買いオペを通じて多くのお金が流れるようになったといっても、それはあくまでも過去に比べて相対的に多くのお金が流れるようになったにすぎず、景気を回復させるためには、絶対量としてのお金の量が足りていないのではないかという考えが出てきました。そこで、金融政策の視点を金利だけではなく、流通するお金の絶対量にも注目し、これを増やすように誘導しようとしたのがこれから述べる代表的な非伝統的金融政策である量的金融緩和です。

では、景気の回復に必要なお金の絶対量を増やすことを目標にするとして、どの範囲のお金を対象として増やすのかが問題となります。この対象として用いられたのがマネタリーベースです。マネタリーベースとは、市中に流通している全てのお金と金融機関が日銀に開設している口座に預けているお金とを加算した総計です。これと似た言葉としてマネーストックがあります。マネーストックとは、金融機関を除いて社会に流通しているお金の合計です。マネタリーベースを対象とするということは、量的緩和によりお金を増やす範囲について、市中の金融機関が世の中に供給するお金だけを対象とするのではなく、日銀が世の中に直接供給する全てのお金を対象として考えようということです。そうしてマネタリーベースを調整することで、間接的にマネーストックも操作できるとされます。

マネタリーベースを増やすとして、なんとなく適当に増やすわけにはいきません。どこまで増やすのかを数値目標として設定しておく必要があります。その数値目標の対象とされたものが、市中の銀行が中央銀行に有する当座預金残高です。市中の銀行は、中央銀行に対して当座預金の口座を持っています。マネタリーベースは、金融機関が保有するお金も定義に含まれますから、この中央銀行に対する市中銀行の当座預金残高を一定額以上に増大させることを数値目標として、金利が十分に下がった以後も買いオペを継続し、マネタリーベースを増大させていきます。

当座預金残高が増えれば増えるほど、金融機関としては融資を行うモチベーションがより一層高くなります。また、融資だけでなく、市場において積極的に運用することも考えられます。いずれにせよ、マネタリーベースの増大がマネーストックの増大を引き起こし、もって物価の上昇、ひいては景気の回復を促すわけです。

インフレ期待

ここで注目すべきなのは、最終段階、すなわち物価の上昇が景気の回復を促すという点です。過剰なデフレ進行の何が問題かを一言でいえば、物価の下落率以上に所得が落ち込んでしまう点にあります。もちろん、物価が下がれば、預貯金生活者や年金所得者など有利に作用する人もいますが、多くの場合に消費者は同時に労働者でもありますから、デフレの進行は一国の経済全体にとって望ましいものではありません。そこで、過剰なデフレ進行を食い止め物価上昇に転じることができれば、企業は高い値段で財やサービスを売ることができるようになり収益が上昇し、それに伴って従業員の給料も高くなります。法人・個人の使えるお金が増えるだけでなく、消費行動そのものをとってみても、年々物価が上昇する傾向がみてとれれば、通貨を物に替える動機を後押しし、企業の設備投資や個人の消費活動を活発化させ、景気の回復をより一層後押しします。加えて、物価の上昇はその国の通貨価値の下落を意味します。通貨価値の下落は、その国の輸出企業にとって大きな競争優位性を生み出します。また、国際展開している企業にとっても、現地で稼いだお金をより安いレートで自国通貨に替えることができるようになります。輸出企業や国際企業だけでなく国内産業も、自国の通貨が高すぎた結果として過剰に安くなっていた輸入品の財やサービスに対抗できるようになります。さらに、外国からみたらその国の通貨は安いということですから、海外旅行で訪れる人が増えそれに伴う産業が活発化します。そして、こういった成長性が見て取れれば、その国の株式を購入しようと考える人も多くなります。

ここで今一度、上でのべた景気回復の流れを思い出して欲しいのですが、低金利への誘導が景気回復の流れにおける鏑矢であるのに対し、物価上昇は景気回復の最後の段階で現れる重要な現象です。このことに注目し、物価上昇率を、金利と同じように中央銀行の金融政策の数値目標とすべきだとする考えが出てきました。これがインフレターゲットです。ここで重要なのは量的緩和との関係です。非伝統的金融政策である量的緩和は、低金利誘導を既に行ったものの景気回復が見られない場面において基本的には発動されます。ともすれば、後に述べるようにゼロ金利にまで行き着いている場合すらあります。そのため、量的金融緩和が実際に功を奏しているかを、金利がより低くなっていくことをもっては判断できません。そこで、中央銀行の当座預金残高の目標値に加えインフレターゲットを設定することで、量的金融緩和の効果をより正確に観測することができるようになります。

さらにいえば、量的金融緩和は絶対値としてのお金の総量を増やす政策ですから、低金利誘導に比べ、より直接的にインフレ圧力を高めます。なぜなら、お金の総量が増えれば、増えた分その通貨の価値は希釈されるからです。例えばお金の価値が5%希釈されれば、今まで10000円で売っていた財やサービスは、10500円に値上げしなければ従来と同じ儲けとはなりません。10000円のままで売れば、価値が希釈された5%分だけ実質的な儲けは少なくなります。

そのため、量的金融緩和の実施は、より早期に人々の心にインフレを予想させることができる可能性があります。お金の量が増えるのだから近い将来インフレになるな、と多くの人に予測させることができる可能性があるということです。この予測がある程度以上の確信となれば、彼らは通貨にしがみつく事をやめ、消費や投資を行うようになります。インフレになるということは通貨の価値が下落するということですから、お金のまま持っておくよりもなんらかの財やサービスに早い段階で変換させておくほうが経済的合理性が高いからです。

この現象を逆にいえば、量的金融緩和を行っても、近い将来インフレが生じることを企業や人々に想起させ確信に導くことができなければ、その効果は半減されるということでもあります。そのため、量的金融緩和を行う際には、中央銀行とマーケットとの間での意思疎通が取れている必要があります。量的金融緩和を行うことでインフレ率を上げますよ、上がるまで続けますよ、という中央銀行のメッセージをマーケットが疑いを持たず素直に信じることができれば、マーケットの側もインフレ期待を元とした消費・投資を行うであろうからです。その意味で中央銀行とマーケットとの間の対話が十分になされる必要があります。

量的緩和とマネタリストとの違い

なお、量的金融緩和とマネタリストの主張はどこが違うのかとの質問がありましたので、追記したいと思います。金利ではなくマネーストックに注目した点で、マネタリーベースに着目した量的金融緩和との共通性はあります。ただ、マネタリストの主張の骨子は、ケインズ経済学に由来する中央銀行の金融政策の裁量性を否定する点にあります。ある種の機械的ルールに則ってマネーストックを上昇させるべきだとする主張です。それに対し量的金融緩和は、中央銀行の裁量性が極めて大きい政策ですから、決定的に発想が異なります。また、量的金融緩和は深刻なデフレ不況下における克服策として考え出されたものですが、マネタリストの主張はインフレを抑制すべき局面で登場したという違いもあります。

量的緩和に対する批判

以上が量的金融緩和の概要ですが、その妥当性をどのように考えるべきでしょうか。非伝統的の名の通り、かつてない金融政策ですから、歴史的評価はいまだ定まらず反対論者も多くいます。

反対派の主張としては、マネタリーベースが増えたからといって、マネーストックが増えるとは限らないとする意見があります。市中の銀行が中央銀行に対して有する当座預金残高が増えたからといって、その当座預金残高が必ずしも貸出融資や投資を通じて市中に流れるとは限らず、流れなかった分は単に死蔵化するだけだということです。問題の本質は、企業や個人がお金を借りたいと考える状況を作り出すことであって、そのような貸出需要が増えることなしに単に買いオペを通じてマネタリーベースを増やしても、お金と国債とが入れ替えただけだとするものです。また、量的金融緩和と物価上昇との間の理論的因果関係そのものを否定する見解もあります。或いは因果関係は認めつつも、インフレ期待などという主観的な現象に経済の命運を預けることは再現性の怪しい理論に身を委ねるもので危険だとする意見もあります。さらに強い否定論者の中には、実需がない状況下でマネタリーベースを過剰に増やせば、過剰なインフレが生じ、国家経済の崩壊を危惧する論者もいます。

デイトレーダーとして

量的緩和に対して個人的な見解をもつことはマーケットに生きるものとして意義のあることだと思いますが、デイトレーダーにとして重要なのは、これらの議論を実際の取引においてどのように生かすことができるかです。そこで次節では、ドル円のチャートにどのような影響を与えてきたのかを検討すべく、その前提として日本とアメリカとが実際にはどのように非伝統的金融政策を行ってきたのかその沿革を解説したいと思います。

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